私の読書史①ー小学校高学年〜中学校ー

 先週末、関係各所で読書史を編纂しようという動きがあった。このビックウェーブに乗るしかないと思っていたが、ゼミの発表資料を作らねばならなかったのでなくなく後回しに。そうすると、課題とESがいっぺんにやってきた。盆と正月が一緒に来た忙しさというか、前門の虎後門の狼というか。信長の野望で東西両面から攻められたときの感覚に似ている。コロナショックでも感じたことだが、やはりやりたいときにさっさとやってしまうのが良いと感じる。

 ともかく忙しい。そんな中でこんな駄文を書いてる暇なんてあるのかと読者の方は思われるかもしれないが、忙殺される時期に文筆活動が捗るのは、高校時代からの筆者の癖であるので、暖かい目で見守っていていただければありがたい。とはいえ、いっぺんに全部書くのは流石に無理なので連載形式でやっていこうと思う。今回は中学生の時分の話まで。

 

①小学校高学年

 小学校低学年時代の読書についてはよく覚えていない。毎週のように図書室に通っていた記憶だけはあるが、何を読んでいたのかは覚えていない。ミッケやらウォーリーを探せとかそういうのを読んでいた記憶はある。ただそれだけである。なので、ある程度明確に語れるというと小学校高学年のあたりということになる。

 今でも鮮明に覚えているのは小学校4年の夏休み。ちょうど友人たちの間で戦国武将の漫画が流行っている時分であった。夏休みに図書室に行く用事があった時にそれを思い出し、歴史漫画シリーズの「天智天皇」の伝記漫画を借りた。多分律儀にシリーズの頭から読んでいこうと思ったのであろうが、その本が日本史に対する私の誘い水となった。これを機に歴史漫画を繰り返し繰り返し読んでいくことになる。最初こそは飛鳥時代の本であったが、やはり戦国時代の本を一番気に入った。今思えば滑稽なことだが、それらの本は一度読んだものであっても時間があけばまた繰り返し読んだ。

 この時読んだ戦国武将達の話は自分の価値観や倫理観の基礎を作ったように思える。当時の私にとって、あの武将達は特撮のヒーローのような存在であったのだと今となっては感じる。しかし、それはもう古臭く、現代には合わないとも思うけれど、雀百まで踊り忘れず、もはや矯正には手遅れとも思う。いずれ淘汰される身ではあるかもしれぬ。

 

 他にもよくスポーツ選手やら何やらの伝記をよく読んだ。思えばこの頃から人の生き方を見るのが好きだった。それ以外には野球の解説本や「漫画ひみつシリーズ」を読んでいたので、親から「実用書ばかり読んでるね」と笑われた。おかげで、今も昔も児童文学の話についていけない。もしかしたら、この頃から逆張りオタクだったのかもしれない。

 

 とはいえ、それらの本も読みつつ、色々と小説にも手を出した。ミステリーに凝り始めていたので、「少年探偵団シリーズ」を粛々と読んでいた記憶がある。ただ、これがミステリーではなく、アドベンチャーものであると気づいたのは終盤まで読み進めたときであった。これと同じ経験を、のちに「シャーロック・ホームズシリーズ」でもするのだが、それはまた後の話。あとはマセて「我輩は猫である」を読んで挫折し、マドンナとの恋愛ものと思って読んだ「坊ちゃん」で首を傾げ。他にも色々と読んだはずだが、自分の納得のいかなかった本ばかり覚えている。今東京のちょうど夏目漱石が描いたあたりに住んでいるのだから、またリベンジしてみてもいいかもしれない。

 

②中学校

 中学から部活を始めたが、読書は相変わらず続いていた。図書室の返却期限までにはちゃんと読んでいたはずなので、ちゃんとしたペースで読み続けられていたはずである。

 まず読んでいたのは「シャーロックホームズシリーズ」である。小学校の図書室にはなかったこのシリーズを読むのが中学入学の楽しみであったので、入学してすぐに読み始めた。確か、自分が生まれる前に出版された版でとても読みづらかったのを覚えている。ホームズのイラストはデフォルメ化されたイケメンではなく原作準拠のどこか恐ろしげな格好であったし、今では「ボヘミアのスキャンダル」と訳される話のタイトルが「ボヘミアの醜聞」であったりとなかなか時代を感じさせる本であった。

 「実用書」を読むことが多かった小学校時代に比べ、この頃はよく大衆小説を読んだ。ミステリー物繋がりで、東野圭吾の「ガリレオシリーズ」を読んだ。また重松清も好んで読んで、「くちぶえ番長」のマコトというキャラが好きだった。先生の「伏線がすごい」という宣伝文句も受けて伊坂幸太郎も読んだ。「死神の精度」、「死神の浮力」という順で発行されたのにその逆から読んでしまったので、「死神の浮力」は読んでもちんぷんかんぷんであった。そして当時は「東方」にかぶれていたので、「そして誰もいなくなった」を読んだが、これは「少年探偵団シリーズ」や「シャーロックホームズシリーズ」とは逆に、ミステリーすぎてやや期待とズレていた本であった。

 

 いろんな作家の本を読んでいた時期であるが、1番自分に影響を与えた本は百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」である。作家については不適切な言動が多くて有名であるし、今思えば「ナショナリズム」の扇動が作品の中にあった気もするが、この本は1人の中坊に経済の重要性を教えるのに足る内容はあった。経済の重要性を私はこの時に学んだ。他にも色々と要因はあっただろうが*1、自分が経済に志す源流の1つはこの本にあったと言ってもいいかもしれない。奇しくもちょうどアベノミクスが始められていた時期であり、これもその助けになったのかもしれない。

 

 

  ひとまずここまで。また、課題たちの間隙を縫って続きを書ける時に。

 

*1:今パッと思い出せる他の要因は、中学の公民の資料集のコラム欄において、錦織圭選手の活躍でWOWOWの株価が上がったと書いてあったことである。スポーツなど一見経済に関係のないことが経済に関係することを当時の私は面白く思った。