船出
何かものにハマるという時、私は1番最初に好きになったものよりも、そのあとに見たものを好きになるという癖があるらしい。例えば、アイドルゲームにハマった時、1番最初にこの子が推し!と思ったキャラクターではなく、ゲームをやるにつれて好きになっていったキャラクターを長いこと推している。1番最初に好きだったものには失礼だと思うし、浮気と捉えられたらそうなのだろうけど、不思議とその後好きになったものへの気持ちは長続きする。
さて、百人一首で好きな和歌はどうであったかというと、私は50番の藤原義孝の歌が好きである。
君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな*1
この歌も百人一首を学んだ最初から好きだった歌ではない。1番最初に好きなった歌はまた別にある。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟*2
参議篁 『古今和歌集』 羈旅 407
高校への入学を控えた3月に、私はこの歌に惹かれたのだった。参考書に添付されていた青い海の写真も印象的だった。本当に写真に写っていたのはただただ青い海。海に慣れていない私を引き込むにはそれで十分だったのかもしれない。
とはいえこの歌を好きになるのは不思議な心地がある。私が好きな恋の歌でもなければ、季節の歌でもない。古今集では"羈旅"に分類されている。旅の歌である"羈旅"の歌で私が好きなものは残念ながら他にはない。それを鑑みてもやはり、この歌を1番最初に好きになったのは首を傾げざるを得ない。
歌の中には桜も、恋の寂しさも嬉しさも存在しない。ただ、青い海と舟と自分だけ。これから流刑へと向かう男にはもはやそれらしかなかったのだろうか。
参議篁という人は、和歌のみならず漢詩文の才に恵まれたものの、奔放な性格を持ち、遣唐使船への乗船を拒否して流罪となっている。流刑地の隠岐へは、淀川を出て、瀬戸内海を経由して向かわなければいけない。唐までとは言わなくても、長く険しい道のりである。不本意であるにしても行かなければいけない。たとえそれが、八十島をかける船路であってでも。
この歌を知ったのは中学校3年の3月。これから高校生活という新たな日々が始まる時分に、この海をかける歌は心に響いたのかもしれない。
船出といえば、来年2022年は私にとって船出の年である。おそらく壮大にとはいかないだろう。順風満帆ともいかないだろう。荒々しい海に一人、舟を出す。すぐに転覆するかもしれないし、目的地とは遠く離れたところに流れ着くかもしれない。しかしそれが航海である。たとえ不本意でも漕ぎ出さねばならぬ。小野篁も厳として海に出た。不肖の身である私も毅然として海に出なければならぬ。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟
たとえそれが苦難の路だとしても。