白雪

 1月6日は東京で2年ぶりの積雪となり、私も久しぶりにこの足で雪を踏んだような心地がした。大雪警報も出ていたので、諸々のことに気をつけなければいけないのであろうが、自分の中で子供のような気持ちが湧いてきてしまう。街の人々も心なしか雪にそわそわしているようであった。とはいえ、外出をするような人は普段よりは少なく、雪そのものが持つ静寂さがより強調されているようだった。

 

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1月6日渋谷駅にて

 

 関東に暮らしていると、概ね4年ごとつまり冬季オリンピックイヤーがくるたびに、降り積もるような雪があることに気づく。先の平昌五輪の時も、そのまた前のソチ五輪の時も、白くて淡い雪が空を舞っていた。

 

 ソチ五輪というと、今から数えて8年前のことになる。私が宇都宮で見た1番の降雪はその時であった。道路いっぱい、庭いっぱいに雪が降り積もり、中学生である私も雪かきに駆り出されたのを記憶している。前の日から降り続いた雪は白く大きな塊となって私を圧倒した。

 

 積もり積もれば大きくなる雪であったが、前日に降った雪は淡い雪であった。まだ積もっている量も少なかったので、いつも通りに中学校へ登校していた。午前中の学課をこなす間も灰色の雲から雪は降り続き、昼休みには外に出て雪遊びができるくらいにはなっていた。ひとしきり遊んだ後に、私は中庭を通って教室に帰った。私の中学校にはふたつ校舎があり、それらに挟まれた中庭があったのだった。てくてくと雪を踏みしめながら歩いていく中で、不意に自分の教室が入っている2階を見た。当時思いを寄せていた少女が、教室の窓から雪空を眺めているのが見えたのを強く記憶している。雪を見る彼女を、雪を被りながら見る私。はたから見れば、ちょうど何かドラマのシーンであったかもしれない。その時だけは、確かに時間がゆっくりと進んでいたと思う。教室に戻ると彼女はまだロッカーに寄りかかりながら、空を見ていた。その近くまで行って、何か話しかけようとして、話題が思いつかず、まごついていたところで私の記憶は止まる。おそらく何も話しかけられなかったのであろう。

 

 2014年の大雪で自分の身に起こった顛末がこれである。雪が降ったり、また雪が降らなくても寒い寒い冬が訪れるにつけて、記憶から呼び起こされる光景であり、8年前のことにしては比較的しっかりと覚えているという自負がある。しかし、しかし後から振り返って思うのは、あの中庭から2階の教室が見えたのだろうかということである。あそこから、ロッカーに寄りかかっていた彼女は果たしてはっきりと見えていたのだろうか。私が中庭から自分の教室を覗いた記憶はこれしかなく、真偽はおぼつかない。ただ、どうにもあの高さの場所をあの記憶にある角度で見れたかどうかは怪しい。本当にあの時私は中庭から彼女を見たのだろうか。記憶を呼び起こすにつれて、改竄を行なっていないだろうか。8年もたった今では記憶の正誤を尋ねることもできない。

 

 あれは、白雪にみせられた幻だったのであろうか。しかし、あの私が見た光景は記憶の中にはっきりと存在している。あれは現実でもあり幻でもあったのだろう。現実の雪と幻の雪。現実の彼女と幻の彼女。自分の頭に雪が降る時、それらが混じり合って、私の頭の中に現れる。