精神的自傷行為

 悲しいことにこの世には自傷行為と呼ばれるものが存在する。自らの手で自分の体を傷つけてしまう人間が一定数ある。私が学び修めていた学問では、人というのは根本的に自らの効用を追いかけるものとしていたが、やはりこの世の中というのは単純にはいかないらしい。

 

 これもその一種なのだろうか。

 

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 私は元来、間が悪い人間で、恋い慕う人に悉く恋人がいるというのが常である。世間一般と同じ価値観を持っていると喜ぶべきか。確かに、私は競馬でも人気どころし買えない身である。それとも、自分の不運を見舞うべきか。確かに、最後に大吉を引いたのはいつの日だったか。とかく慕う人みな恋人がいる。

 そういったときの対処法を私は未だ持たない。

 ある友人は、気になる娘に恋人がいたら、追うのをやめるという。確かにそれが1番建設的である。見込みの薄いところに時間をかけず、次の見込み作りにいくのは、営業の基本だ。

 だが、私はずるずると交流を続けてしまう。

 

 身の丈の合わない行動力で、サシでもグループでも食事の席を一席設ける。そこで話すのは他愛のない会話。そこまでやっても、自分の気持ちを開陳することはない。

 

 その代わりに私はこう尋ねるのだ。「恋人はどうなのか」と。

 

 このような質問をしたところで何になるのだろうか。

 

 自分の恋心を隠すため? であれば、そもそも対面で食事などしなければいい。

 恋人の不満を聞いて隙を突くため? であれば、もっとアプローチをかけるべきだ。

 そうでなければ、自分の気持ちに踏ん切りをつけるためか。もし、そうならば、何度もこの質問は繰り返さないだろう。

 

 いったいなぜ、同じ質問を繰り返し、はにかみながら惚気る女性の顔を眺めるのだろうか。

 いったいなぜ、自ら胸を締め付ける行為をするのだろうか。

 

 

 とかく、私は中途半端だ。

 

 すっぱりと諦める潔さも持たず、かといって他人のモノを奪ってしまう貪欲さもなく、一体どれほどの時間を浪費したのだろうか?得たものといえば、この自傷行為で精神から流れた血液だけではないか。

 

 いい加減、半端なことはやめなければいけない。自分の心を生かすことも、殺すこともせず、ただ半端に傷つけるだけだ。思春期の餓鬼のようなことを、大の大人がやるのは情けない。そろそろ大人になるべきだ。

 

 ただ、このままもう少し、自分の気持ちをごまかしていたいとも思う。