精神的自傷行為

 悲しいことにこの世には自傷行為と呼ばれるものが存在する。自らの手で自分の体を傷つけてしまう人間が一定数ある。私が学び修めていた学問では、人というのは根本的に自らの効用を追いかけるものとしていたが、やはりこの世の中というのは単純にはいかないらしい。

 

 これもその一種なのだろうか。

 

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 私は元来、間が悪い人間で、恋い慕う人に悉く恋人がいるというのが常である。世間一般と同じ価値観を持っていると喜ぶべきか。確かに、私は競馬でも人気どころし買えない身である。それとも、自分の不運を見舞うべきか。確かに、最後に大吉を引いたのはいつの日だったか。とかく慕う人みな恋人がいる。

 そういったときの対処法を私は未だ持たない。

 ある友人は、気になる娘に恋人がいたら、追うのをやめるという。確かにそれが1番建設的である。見込みの薄いところに時間をかけず、次の見込み作りにいくのは、営業の基本だ。

 だが、私はずるずると交流を続けてしまう。

 

 身の丈の合わない行動力で、サシでもグループでも食事の席を一席設ける。そこで話すのは他愛のない会話。そこまでやっても、自分の気持ちを開陳することはない。

 

 その代わりに私はこう尋ねるのだ。「恋人はどうなのか」と。

 

 このような質問をしたところで何になるのだろうか。

 

 自分の恋心を隠すため? であれば、そもそも対面で食事などしなければいい。

 恋人の不満を聞いて隙を突くため? であれば、もっとアプローチをかけるべきだ。

 そうでなければ、自分の気持ちに踏ん切りをつけるためか。もし、そうならば、何度もこの質問は繰り返さないだろう。

 

 いったいなぜ、同じ質問を繰り返し、はにかみながら惚気る女性の顔を眺めるのだろうか。

 いったいなぜ、自ら胸を締め付ける行為をするのだろうか。

 

 

 とかく、私は中途半端だ。

 

 すっぱりと諦める潔さも持たず、かといって他人のモノを奪ってしまう貪欲さもなく、一体どれほどの時間を浪費したのだろうか?得たものといえば、この自傷行為で精神から流れた血液だけではないか。

 

 いい加減、半端なことはやめなければいけない。自分の心を生かすことも、殺すこともせず、ただ半端に傷つけるだけだ。思春期の餓鬼のようなことを、大の大人がやるのは情けない。そろそろ大人になるべきだ。

 

 ただ、このままもう少し、自分の気持ちをごまかしていたいとも思う。

白雪

 1月6日は東京で2年ぶりの積雪となり、私も久しぶりにこの足で雪を踏んだような心地がした。大雪警報も出ていたので、諸々のことに気をつけなければいけないのであろうが、自分の中で子供のような気持ちが湧いてきてしまう。街の人々も心なしか雪にそわそわしているようであった。とはいえ、外出をするような人は普段よりは少なく、雪そのものが持つ静寂さがより強調されているようだった。

 

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1月6日渋谷駅にて

 

 関東に暮らしていると、概ね4年ごとつまり冬季オリンピックイヤーがくるたびに、降り積もるような雪があることに気づく。先の平昌五輪の時も、そのまた前のソチ五輪の時も、白くて淡い雪が空を舞っていた。

 

 ソチ五輪というと、今から数えて8年前のことになる。私が宇都宮で見た1番の降雪はその時であった。道路いっぱい、庭いっぱいに雪が降り積もり、中学生である私も雪かきに駆り出されたのを記憶している。前の日から降り続いた雪は白く大きな塊となって私を圧倒した。

 

 積もり積もれば大きくなる雪であったが、前日に降った雪は淡い雪であった。まだ積もっている量も少なかったので、いつも通りに中学校へ登校していた。午前中の学課をこなす間も灰色の雲から雪は降り続き、昼休みには外に出て雪遊びができるくらいにはなっていた。ひとしきり遊んだ後に、私は中庭を通って教室に帰った。私の中学校にはふたつ校舎があり、それらに挟まれた中庭があったのだった。てくてくと雪を踏みしめながら歩いていく中で、不意に自分の教室が入っている2階を見た。当時思いを寄せていた少女が、教室の窓から雪空を眺めているのが見えたのを強く記憶している。雪を見る彼女を、雪を被りながら見る私。はたから見れば、ちょうど何かドラマのシーンであったかもしれない。その時だけは、確かに時間がゆっくりと進んでいたと思う。教室に戻ると彼女はまだロッカーに寄りかかりながら、空を見ていた。その近くまで行って、何か話しかけようとして、話題が思いつかず、まごついていたところで私の記憶は止まる。おそらく何も話しかけられなかったのであろう。

 

 2014年の大雪で自分の身に起こった顛末がこれである。雪が降ったり、また雪が降らなくても寒い寒い冬が訪れるにつけて、記憶から呼び起こされる光景であり、8年前のことにしては比較的しっかりと覚えているという自負がある。しかし、しかし後から振り返って思うのは、あの中庭から2階の教室が見えたのだろうかということである。あそこから、ロッカーに寄りかかっていた彼女は果たしてはっきりと見えていたのだろうか。私が中庭から自分の教室を覗いた記憶はこれしかなく、真偽はおぼつかない。ただ、どうにもあの高さの場所をあの記憶にある角度で見れたかどうかは怪しい。本当にあの時私は中庭から彼女を見たのだろうか。記憶を呼び起こすにつれて、改竄を行なっていないだろうか。8年もたった今では記憶の正誤を尋ねることもできない。

 

 あれは、白雪にみせられた幻だったのであろうか。しかし、あの私が見た光景は記憶の中にはっきりと存在している。あれは現実でもあり幻でもあったのだろう。現実の雪と幻の雪。現実の彼女と幻の彼女。自分の頭に雪が降る時、それらが混じり合って、私の頭の中に現れる。

 

船出

 何かものにハマるという時、私は1番最初に好きになったものよりも、そのあとに見たものを好きになるという癖があるらしい。例えば、アイドルゲームにハマった時、1番最初にこの子が推し!と思ったキャラクターではなく、ゲームをやるにつれて好きになっていったキャラクターを長いこと推している。1番最初に好きだったものには失礼だと思うし、浮気と捉えられたらそうなのだろうけど、不思議とその後好きになったものへの気持ちは長続きする。

 

 さて、百人一首で好きな和歌はどうであったかというと、私は50番の藤原義孝の歌が好きである。

君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな*1

藤原義孝 『後拾遺和歌集』恋二 669

 

 

 この歌も百人一首を学んだ最初から好きだった歌ではない。1番最初に好きなった歌はまた別にある。

 

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟*2

参議篁 『古今和歌集』 羈旅 407

 

 高校への入学を控えた3月に、私はこの歌に惹かれたのだった。参考書に添付されていた青い海の写真も印象的だった。本当に写真に写っていたのはただただ青い海。海に慣れていない私を引き込むにはそれで十分だったのかもしれない。

 とはいえこの歌を好きになるのは不思議な心地がある。私が好きな恋の歌でもなければ、季節の歌でもない。古今集では"羈旅"に分類されている。旅の歌である"羈旅"の歌で私が好きなものは残念ながら他にはない。それを鑑みてもやはり、この歌を1番最初に好きになったのは首を傾げざるを得ない。

 

 歌の中には桜も、恋の寂しさも嬉しさも存在しない。ただ、青い海と舟と自分だけ。これから流刑へと向かう男にはもはやそれらしかなかったのだろうか。

 

 参議篁という人は、和歌のみならず漢詩文の才に恵まれたものの、奔放な性格を持ち、遣唐使船への乗船を拒否して流罪となっている。流刑地隠岐へは、淀川を出て、瀬戸内海を経由して向かわなければいけない。唐までとは言わなくても、長く険しい道のりである。不本意であるにしても行かなければいけない。たとえそれが、八十島をかける船路であってでも。

 

 この歌を知ったのは中学校3年の3月。これから高校生活という新たな日々が始まる時分に、この海をかける歌は心に響いたのかもしれない。

 

  船出といえば、来年2022年は私にとって船出の年である。おそらく壮大にとはいかないだろう。順風満帆ともいかないだろう。荒々しい海に一人、舟を出す。すぐに転覆するかもしれないし、目的地とは遠く離れたところに流れ着くかもしれない。しかしそれが航海である。たとえ不本意でも漕ぎ出さねばならぬ。小野篁も厳として海に出た。不肖の身である私も毅然として海に出なければならぬ。

 

 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟

 

 たとえそれが苦難の路だとしても。

 

 

 

*1:筆者訳:貴女のためには惜しくはないと思っていたこの命でありますが、思いが遂げられた今では少しでも長く続いて欲しいと思っていることですよ。

*2:筆者訳:あの大海原の多くの島を巡りに漕ぎ出していったと都の人には伝えておくれ、海人の釣り人よ

7月30日

 

8時

起床。数週間ぶりにこの時間に起きた。昨晩のアルコールが残る頭を引きずってなんとか起きる。

 

8時20分

ゲーム理論の試験開始。普段の授業開始は30分なので、10分ぐらいなんかあるのかと思ったが、普通に20分からスタートした。

 

8時40分

緊急地震速報が鳴る。ちょうどシュタッケベルグゲームを解いている最中だったし、試験時間も10分だったから特に何もせず。本当に地震が来ていたら大変だったかもしれない。ただ、おかげで試験時間終了間際に目が覚めたので助かった気もする。

 

13時

2つ目の試験スタート。

 

15時

試験終了。

 

18時30分

この時間までぼーっと過ごす。そのあとは、ラジオで横浜×巨人戦を聞きながら、数理統計の勉強をする。

 

21時半

金曜昼までのESを書き始める。なぜか中学校を聞かれてびっくりした。中学校は地元のところに通う人が多いだろうから、入社直後の転勤先としてどうかとか見られてるのかもしれない。

 

24時半

書き終えたと同時に晩酌を始める。先日後輩に勧められたキリンのストロング系を飲む。レモンはスト缶よりも美味しいかもしれない。それでもおつまみがないと飲んでられないけど。

正直、大好きというほどでもないのだが、睡眠導入剤として実績を出しつつあるので致し方なし。次の日に少しアルコールが残ってしまうのが玉に瑕か。日本酒だとそこまでなることは少ないのだけど。

…冷蔵庫にあるスト缶(ロング)×2本いつ処理しようか…

 

 

【今日の一首】

かきくらす涙の梅雨は終わりけり

傘はなくとも独り歩かむ

梅雨の晴れ間に

拝啓 

 

二神ちとせ様

 

 

今年はいつものジメジメとした梅雨とはうってかわり、人間に容赦無く牙を剥く梅雨となりましたが、そちらは大丈夫でしょうか? あなたが住んでいるところは、災害の少ないところとはいえ、いささか心配です。あなたはとても家を大切にされる方だから、洪水の中でも「家を守る!」などと言ってそうです。誇張しすぎでしょうか? こちらは、時々晴れ間も見えていましたが、そろそろ前線が近づいてきたようです。雷も鳴っています。地元にいた時分には、毎日のように聞いていたから、こう時々にしか雷に遭遇しないのは少し物足りなく寂しい心地がしますが、平穏な天気の方がやはりいいでしょう。さて、次に梅雨の晴れ間が見えるのはいつになるやら。

 

さて、本来ならば、先月の末にでもそちらに伺って、色々とお話しをしようと思っていたのですが、如何せん某ウイルスが収まらず、計画倒れになってしまいました。その代わりと言ってはなんですが、こうして筆をとっている次第であります。「便りのないのは良い便り。いらぬ気遣いは無用」と突っぱねられそうですが、それでは私の気が済まないのでお書きします。

 

そういえば、最後にお会いしたのは、3月か4月でしたっけ。もうかれこれ3ヶ月ほど経ちます。あの時もたわいのないことを話し、また貴重なご意見も頂戴したものです。あの時に言ってもらった「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は今でも胸に大事にしまってあります。この言葉は自粛期間中にも役立ちましたし、就職活動なるものにも役立っています。しかし、私はあの時就職のしの字も出さなかったのに、どうしてあなたはこの言葉をくれたのでしょう?あなたは昔から不思議なところがあった。そのフシギナチカラの源をぜひご教授願いたいものです。そしたら、就職活動なんてものは辞め、その技術を元手にビジネスに励み、何倍何十倍にもしてお返しするのに。いえ、冗談です。あなたの怒る顔が見えたのでやめます。あなたは普段優しいけれど、怒るとどうなるか分かったものではない。普段仏のような顔をしてる人ほど、そういう時は怖いものです。失敬失敬。

 

次お会いできるのは8月ごろでしょうか。就職活動云々にも左右されそうですが、8月、9月のどちらかで会えれば。その時また相談に乗っていただくと思いますが、そういえば、最近近場によくお話しする人ができて、その人とも色々お話ししています。日常生活については、少し不思議なことをおっしゃる人ですが、学問に強いとあって、その辺のアドバイスは鋭い方です。この前会った時も、早く目標を立てて、勉学に励めと言われました。そういえば、あなたもその手のことはおっしゃっていましたね。昨年はその手の忠告を無視したために、大変痛い目を見ましたから、今学期こそはと頑張っております。やる気だけは十分。あとは空回りにしなければ。

 

そうこうしてるうちに、雨の音は静かになってきました。らい様もどこかに行ってしまったようです。また明日には梅雨の晴れ間が見えるのかしらん。あのうっすらと差す光に反射する葉っぱの雫にはどことなく惹かれるものがあります。雨があるから晴れの有り難みがあって、晴れがあるから雨の有り難みがあるのでしょうか。後者に同感してくれる人は全くいなそうですが。梅雨の晴れ間というと、犬塚勉の絵を思い出します。あなたはご存知でしょうか? 昔テレビで見て知ったのですが、絵画なのに写真のようでとても綺麗でした。このご時世実物を見ることは叶わないけれど、インターネットでもぜひ見ていただければ。こういう風にまた太陽を仰げる日が、何も心配せずに仰げる日が来ればいいのですが。あなたの元にまた行く日はそうであってほしいものです。

 

露照らす梅雨の晴れ間に差す日だに

あらせば心のどけからまし

 

 

敬具

 

上半期の振り返り

 みんなが上半期の振り返りをしているので自分もちょっとだけやります。本当はもうちょい早くやりたかったんですけどね…… 誕生日の次の日に弊学部から課題を3つプレゼントされたから仕方ないね。学部の粋な計らいには頭が下がります。

 

 

1月

寒くて暑くて、やっぱり寒かった。

成人式云々については、前にブログ書いたのでそっちを読んでもらえれば。

この記事割と評判が良くて嬉しい。実は初恋してた頃が自分の短歌制作の全盛期だったので、その頃を思い出して、筆が滑らかに動いたのかしらん。あの学年の時はちょうど担任の先生が美術の先生だったので、短歌見てもらってそれをモチベにした気がする。その先生は体調が悪いらしく成人式にも来てなかったが、世の中お互いに生きてればどこかで会うと思う。

 

下旬には訳あって、10年弱ぶりに鎌倉に。小学校半ばは父親の会社の合宿所的なとこに止まって、カラオケをやって、由比ヶ浜から初日の出を見るのが恒例行事だった。なので、鎌倉由比ヶ浜というと、夏の賑わっている海というより、冬の真っ暗な海のイメージが強い。源氏の「明石」の巻でもそうだったけど、やっぱり静かな海は良い。

 

2月・3月

学期とか諸々が終わって調子に乗っていた期間。この期間に多方面の方々にご迷惑をかけてしまったので反省。私は子供の時からすぐに調子に乗るのでよくない。

その反面、自分が今まで持っていた信条に懐疑を覚えて、精神状態は不安定だった。何に対してでも、信じるものがあることは精神の安寧には必要だと痛感した。(かといって、盲目的に信じることは有害であり、そのバランスが難しい)

 

4月

コロナで学校が休みだったら、シャニマスをやったり、創作をやったりしようかなと思っていたけれど、一応学事暦通り始まったので断念。

この月は前学期の反省を生かししっかり勉強していた。この月は。読書習慣も復活して、小説とは1週間で1冊の本を読めていた。この月は。

コロナ禍ならコロナ禍なりに、少しでも何かを得ようとしていたのだろうと思う。

ちょうどこのあたりから、春休みにあった背反する精神と行動の諸症状が治まった。勉強していれば、何かをやっているという自信がつく。自信がつけば、自分の信条について不安にならないし、調子に乗って他人に自分を大きく見せることをしないで済む。

ある程度節度ある生活をできていた4月だった。

 

5月

GWですっかりリズムを崩した私は、いわゆる五月病を発症していた。読書もめっきりやらなくなったし、それにつれて調子に乗った行動も増えた気がする。勉強も微妙にやらなくなった。じゃあ何をやっていたのかと言われたら何もやっていない。5月は暗黒の月だったかもしれない。

 

そういえば、5月だけで3回「根にもっている」という言葉を聞いた。私ももちろん「根にもつ」ことはあるので、それはそれでいいと思うのだが、自分の価値観では「根にもつ」ことは良くないことで、まして人に言うなんてできないものと思っていた。「根にもつ」ということは「ナニナニのことはまだ許していなし、これからも許す可能性は低い」ってことになると思う。それを人に言うのは「私は度量の小さい人間です」と言っているようで私は嫌なのだが、世間と私の価値観は違うみたいですね。また1つ勉強になりました。

 

 

6月

5月あたりに企業調べをやっていた反動か6月上旬から下旬にかけてしうかつ関連のことは動いてなかった。疲れたのと課題が多かったのと色々。それが良かったのかはわからない。実際、人数過多で締め切ってるインターン多いし、出遅れた感はあるかもしれない。その感覚はあってるかわからない。焦ってあれこれ手を出すのも良くないとも思うし、難しい。

ともかく、今年の6月は数年ぶりに病気も怪我もなく過ごせたたので、オッケーということにしたい。

 

 

ミリマスについて

しうかつの話で終わるのはおあとがよろしくないので、ミリマスの話。とりあえずめでたい。これで興味を持ってくれる人が増えればと思う。ただ自分自身フル3Dに慣れていないので、そこだけが不安である。歴戦のオタクなので、1クール内にアジャストさせようとは思いますが。

 

これについて友人が興味深いことを書いているので載せておきます。

nakamura2000.hateblo.jp

載せるの迷いましたが、アクセス増に少しでも貢献できると思うので許して。

 

確かにアイドル青春劇は、アニメでも二次創作でもよくあるスタイルなので、n番煎じという感じは否めない。ただネットを見るとそういうのを求めてる人は一定数いるし、大ゴケだけは避けたいだろうから、無難に青春劇をやってそう。

(ただ生っすかTVみたいなバラエティは見てみたい。アイドルの日常に興味はあるし、そういうの二次創作で取り入れられたら面白そう。このことは後述。)

 

また、これは大きな時間軸の問題でもあって、青春群像劇であればアイドルを始めたての頃、アイドルの日常をやるとしたらアイドルとして売れ始めてきた頃、どっちの時間軸を採用するかという問題になると思う。先述した通り、今回のアニメは前者の時間軸になりそうな気がするのだけど、そうした場合でも時間軸の問題はつきまとう。

なぜなら、この7年間でアイドルたちも一応変化しているからだ。もちろんソーシャルゲームという性質上それは微々たるもので、しかもゆっくりとしたものだけど、確かに変化はある。そうしたら、その変化の前の時間軸にするのか、その後の時間軸にするのかという問題がある。

例えば、北沢志保であれば、当初の自分良がりなスタイルなのか、現在のミリシタのような他者への配慮ができるスタイルなのか。もっと具体的な事象であれば、矢吹可奈のことを「矢吹さん」と呼ぶのか、「可奈」と呼ぶのか。こうした取捨選択は全キャラクターに細かくあるだろうし、それぞれの選択について解釈違いを起こして卒倒するPは多そうである。

ここまでくるといっそ、時間軸をミリシタに合わせて、アイドルの日常をやってる方が安全な気もしてくる。

ともかく本番のアニメではどう対処するのか楽しみである。

 

 

二次創作について

偉そうな見出しをつけましたが、自分が二次創作についてどう向き合おうかという話です。私は完全に彼のブログでいう、アイマスというコンテンツしか知らないオタクだと思うので、二次創作やろうとしてもツマラナイコンテンツしか作っていない気がする。3次元のアイドルとか全く知らないしなぁ。確かに取材不足で書けるものに限りはある。

じゃあ自分がアイマス以外で追ってるコンテンツってなんだろうと思うと、プロ野球にたどり着いた。試合を見るだけに飽き足らず、オタクとして野球を追っていると、ネットでそれぞれの選手について深掘った記事とか出てくる。

例えばこういうやつとか。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/a777a9806086d15d09c3007cd3597311e3a357c3)

 

この手の話二次創作に生かせないかなぁとか思ったり。同期でかつ下積みを共にした人たちの話に弱いので。アイドルもスポーツ選手もプロフェショナルということで通じるものがあると思うんだけどいかがでしょう?

とかく二次創作についても、野球に対しても新しい視点を持てた気がする。友人に感謝感謝ですね。

 

 

今日の一首

天の川落つる涙の雨あれば

あはれ今年の夏は逢へまじ

6月25日

 訳あってリア垢をほぼ開店休業状態にした。ツイッターも動かず、コロナで直接会わないともなれば、生きている証をなにか残さねばならんので、日記でも書きます。ツイッターでつぶやいてるよりも、こうやってまとめてる方が良いやろ。

 

 リア垢を見ないようになったのは、悪意と冷笑主義ニヒリズムに被曝しないようにするため。自分はもともとネガティブで、努めて楽天主義になっているので、それらに被曝をしてしまうとめんどくさい。ちょうど飛行機が高度を上げようとしているところに、乱気流が流れ込んできて、高度を無理やり下げてくるようなそんな感じである。こんなこと書いてると、「もしや自分がこいつを苦しめてたのでは…?」と思ってくれそうな人がいるかもしれないが、そう思ってくれている時点で何も問題はないと思うので安心してください。ほんの一部のツイートにやられてるだけなので。

 

 

9時:第一次起床

 1限に寝坊したことを悟る。興が乗らなかったので、そのまま二度寝に。

 

10時:第二次起床

 

16時:人生で初めてWebテストなるものを受ける。

 選考に関係のない模擬テストのようなものであったが、時間配分やら何やら弱点が見つかったのでよしということにしておく。受領は倒れるところに土をも掴め。

 直後に、ツイッターで知り合いの知り合いの優秀な人が祈られたという話を見て、プチメンブレ(解脱1日目からリア垢動かしてんじゃねーよ)。 戦争映画とか見てると、こんなん生き残るかどうかなんて運じゃんって思うけど、しうかつ戦線もそうなのかしらん? ただ、しうかつ戦線では、鉄砲玉ではなくお祈りメールが飛んでくるだけ平和かもしれん。なんでも、十分に大きな数のお祈りメールを集めると、権現になれるらしい(要出典)。「東方Project」の世界観だと、信仰されている神は強くなって、信仰されない神は弱くなるというものだったから、世のしうかつ生は、下手な神様より強いのかもしれない。

 

19時:バイト

 

22時:バイト後に三人麻雀を半荘だけやる。

 半荘やって自分の和了は満貫と倍満だけ。上家がただひたすら和了っていた。おかげで1回も流局がなく終わった。高めの役を作ることができないから、安めの役で小遣い稼ぎしつつ振り込まないように粘るという戦法を私は取るので、大差がつくと辛い。このままやり続けるなら、しっかりとした戦法を学ぶべきである。