文章練習:百人一首について

 コロ助*1の影響もあり、この先数多のレポートに立ち向かわなければいけないこと、そして5,6月にはESなるものを書かなければいけないことを考慮して、文章の練習をしないといけない気がしてきた。もちろん、先述の2つはかっちりした文章でないといけないので、こんなチンケなブログとは勝手が違うのだけど、何はともあれそこそこ長い文章を書く体力、そして書いたという経験は重要だろうということで、少し練習をしてみようと思う。

 ちょうど友人が辞書を引いて出てきた単語についてエッセイを綴るというのをやっているからアレにあやかりたい。さて、辞書はどこだったか… 高校生の時分に使っていた紙の辞書は全て実家で手元には電子辞書しかなかった… 辞書に準ずるものはないかと探してみると、日本史用語集と世界史用語集のみ… それでは些かサツバツな記事になりそう。

 コマッタな…と思っていると、ちょうど百人一首全集のようなものを見つけた。これは高校入学時に百人一首を覚えさせられた時に購入したものなのだが、気に入って下宿にも持ってきていた。高校1年の時には100首諳んじられたけど、今はそうはいかないので、ちょうどよかろう。ということで、これを使って文章を書く練習でもしてみる。

 

 今日はちょうど4月30日なので34番の和歌について。

誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに

                       『小倉百人一首』より

 老いた私は、誰を知り合いとすればいいのだろうか。あの高砂の老いた松も昔の友ではないのだから。

 

 ちょうど忘れていた歌に当たった。作者は藤原興風三十六歌仙で、琴の名手だったらしいがそれ以外のことはよく分からないらしい。私も1,2度名前をどこかで見たくらいで馴染みはほとんどない。

 

 さて、歌について。私は世間一般には"若い人"なので、老いに伴う、友人との別離というのはいまいち実感が湧かない。とりあえず、思いつく知り合いは皆ご存命である(と思う。)

 実感が湧かないです、この和歌の感想終了。では味気ないので、少しサークルなどの話に絡めてみようと思う。私はいくつかのサークルに入っているが、大体のサークルは2年生が中心となって運営し、3,4年生は"ご隠居様"となる傾向がある。幸い、私の代はまだまだ"現役"という感じだけど。1回だけサークルの活動に同期が私だけ、ということがあった。2年生は多いのでその辺の人たちと交流すればいいんだけど、なんだか心寂しい感じがした。私がただインキャなだけかもしれないし、そもそも同期とそんなに仲が良いかと言われると、はっきり頷けるかは怪しい。それでもそういった寂しさは感じた。これから、コロ助の影響でどうなるかわからないけれど、しうかつだったり、授業だったりで、同期の数は減るだろうし、こういったことは良く起こるかもしれない。そういった時に「誰をかも知る人にせむ」と呟けば、風流で心が和らぐかもしれない。もちろん、自分だって忙しくなってどれだけ行けるかわからないけれど。(私は基本既存のグループでぬくぬく過ごしていくのが好きなので、サークルに固執しそうである。)

 

 もう1つ、この和歌で思い出した話。羽海野チカさんの漫画に『3月のライオン』という漫画がある。将棋を題材にした人間ドラマでとてもエモい作品なので、是非オススメしたいが、私は8巻だけ買って手元に置いている。理由は、この8巻に収められている話が好きだからという単純なものだけれど。

 

3月のライオン 8 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 8 (ジェッツコミックス)

 

 

 この巻の内容だが、この表紙にもなっている棋界最年長の棋士が将棋を指しながら、夢半ばで棋士の道を諦めていった友人たちに思いを馳せるというものだ。ちょうど、この和歌を読んだ興風と近い心境が描かれていると思う。そして、この話で印象に残っているその最年長棋士のセリフが次だ。

たとえてくれる先人ももはやただの1人もなし

                    羽海野チカ3月のライオン』より

 

 歳を重ねると、学年が上がると、自分の特徴を掴んで、ものに例えてくれる人、そして欠点をみて指摘してくれる人が減るように思える。先輩、同期が少なくなっていけば、なおさら。風通しが良い組織であっても、どうしても指摘は減る。自分で考え、自分で反省し、自分で自分を導くしかない。先達や旧友の有り難さよ。褒めてくれ、そして叱ってくれる人のありがたさよ。まぁ、叱ってくれる人はこの先のしうかつで沢山見つかりそうだけど。

 

 

 和歌一首で思ったより話が広がって収拾がつかなくなってしまったので、ここらで打ち切り。何が言いたいかというと、同期・先輩はもっとサークルに来ませう、後輩諸君は粗相があったらボコボコにしてください、ということです。20そこらで、「誰をかも知る人にせむ」と呟くのは些か早すぎる。