今学期を総括して

 今学期をどう表そうか。パッと思いついたのは、曇り時々雨、である。晴れの日は確かにあった。どこまでも透き通る青に心躍った日は確かにあったはずなのである。だが、ずっと雲が広がり、時々雨が降り……

 

 今学期は授業も少なく、よく「華」と呼ばれる。大学4年間に輝く一輪の花。私もその花をもらい、去年とは比べ物にならないくらい多くの自由な時間を得た。しかし、はてさて、その時間を自分はどう使ったのだろう。勉強?サークル?バイト?自分のしたことをパッと思い出せない。出てくるのは、ただ手から零れ落ちる砂のように、僕の前を過ぎ去る時間のイメージのみ。

 

 時間があるのは幸せなことだ。ただその多さに胡座をかかなければ。時間の多さを頼みに、様々なことに手を出した。特に勉強では、経済学以外に取り組む最後の期間と捉えて、様々な分野に首を突っ込んだ。今思えば、結婚直前に、火遊びに手を出す惨めな男の気持ちと似たものがあったのだろう。それで、私は何を得たのか。ただただ、勉学に対して真摯に向き合えていなかったと思う。それらのことを学んでいる時より、友人に経済を教えている時の方が楽しかった。経済学の虜になっているのだから、一意専心、それに取り組めばよかったのである。この半年のブランクを超えて、君は本当に後期課程ができるのか、と自分を問い詰めたくもなる。君、やはり浮気はダメだよ。

 

 時間の多さはまた、幸か不幸か、思索の時間をくれた。自分と向き合い、種々のことに思いを馳せることができたのは、良かったようにも思う。ただ、やはり出産に痛みが伴うように、自分の考えを生成するというのは、かなり難儀であった。しかも、時間の多さというのは残酷なもので、嫌でも私に思考を強要する。頭の上に乗っかった時間と雲が、絵の具のチューブを押すように、思考の内容物を出させるように、僕の頭を押すのである。いつになれば、どこかに行ってくれるのだろうかと、ほとほと思っているが、生憎居心地がいいのか、彼らはまだ居座っている。私は招いた覚えも、歓迎した覚えもないのだけど。

 

 また、文章を書く時間が増えた。喜ばしいことだ。文章は、その瞬間のとりとめもない思索も言葉も残してくれる。かといって後で見返すとも限らないけど。後は、文を書く練習にもなる。これもまぁその一環である。ただ、今回は何も考えず、タイプしてるだけだから、練習にはならないだろう。この練習たちが、試験・レポートで役立ったのかは知らない。

 

 そして、読書の時間も増えた。といっても僅かにだが。多分大学生活で一番本を読んだ。これが通算4年間の最高記録になってしまっては困るけど、まぁいい傾向である。ひとまずネットの世界に溺れ、時間を無為にしなくては済む。活字を追っていると何かしら、自分の中に残ってくれそうな気はする。本当かどうか分からないけど。ただ、困るのは、読書をしていると文章を書けないという致命的なバグである。これだけはどうしようもない。

 

 さて、今学期が終わったということは、夏休みに入るということだが、何か物足りない。達成感が湧かない。ワクワクしない。今学期は学期中とは思えないほどの怠惰を貪っていた。夏休みはただそこから、僅かな量だった勉強を取り除いただけで、それほど大差はないだろう。ケの日あってのハレの日、ということだろうか。まぁ、ハレの日の連続を疎く思うなんて経験は金輪際ないだろうから、これはこれで特別な経験と思っておこう。

 

 では、今学期はまったくの無駄であったのか。梅雨であってもそれは一年を構成する大事な要素であって、それは他の時節でも同じである。春の嵐、夏の酷暑、秋の木枯し、冬の北風。嫌でもそれは一年の構成要素で、一年というものを形作っている。結局、好きだろうが、嫌いだろうが、それを捨て去る、なかったことにするのは、自分を否定してしまう気がして虚しくなってしまう。

 

 今、夏が来て、青い、青い、空がある。今度はどんな季節になるのだろうか。