文章練習:百人一首について

 コロ助*1の影響もあり、この先数多のレポートに立ち向かわなければいけないこと、そして5,6月にはESなるものを書かなければいけないことを考慮して、文章の練習をしないといけない気がしてきた。もちろん、先述の2つはかっちりした文章でないといけないので、こんなチンケなブログとは勝手が違うのだけど、何はともあれそこそこ長い文章を書く体力、そして書いたという経験は重要だろうということで、少し練習をしてみようと思う。

 ちょうど友人が辞書を引いて出てきた単語についてエッセイを綴るというのをやっているからアレにあやかりたい。さて、辞書はどこだったか… 高校生の時分に使っていた紙の辞書は全て実家で手元には電子辞書しかなかった… 辞書に準ずるものはないかと探してみると、日本史用語集と世界史用語集のみ… それでは些かサツバツな記事になりそう。

 コマッタな…と思っていると、ちょうど百人一首全集のようなものを見つけた。これは高校入学時に百人一首を覚えさせられた時に購入したものなのだが、気に入って下宿にも持ってきていた。高校1年の時には100首諳んじられたけど、今はそうはいかないので、ちょうどよかろう。ということで、これを使って文章を書く練習でもしてみる。

 

 今日はちょうど4月30日なので34番の和歌について。

誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに

                       『小倉百人一首』より

 老いた私は、誰を知り合いとすればいいのだろうか。あの高砂の老いた松も昔の友ではないのだから。

 

 ちょうど忘れていた歌に当たった。作者は藤原興風三十六歌仙で、琴の名手だったらしいがそれ以外のことはよく分からないらしい。私も1,2度名前をどこかで見たくらいで馴染みはほとんどない。

 

 さて、歌について。私は世間一般には"若い人"なので、老いに伴う、友人との別離というのはいまいち実感が湧かない。とりあえず、思いつく知り合いは皆ご存命である(と思う。)

 実感が湧かないです、この和歌の感想終了。では味気ないので、少しサークルなどの話に絡めてみようと思う。私はいくつかのサークルに入っているが、大体のサークルは2年生が中心となって運営し、3,4年生は"ご隠居様"となる傾向がある。幸い、私の代はまだまだ"現役"という感じだけど。1回だけサークルの活動に同期が私だけ、ということがあった。2年生は多いのでその辺の人たちと交流すればいいんだけど、なんだか心寂しい感じがした。私がただインキャなだけかもしれないし、そもそも同期とそんなに仲が良いかと言われると、はっきり頷けるかは怪しい。それでもそういった寂しさは感じた。これから、コロ助の影響でどうなるかわからないけれど、しうかつだったり、授業だったりで、同期の数は減るだろうし、こういったことは良く起こるかもしれない。そういった時に「誰をかも知る人にせむ」と呟けば、風流で心が和らぐかもしれない。もちろん、自分だって忙しくなってどれだけ行けるかわからないけれど。(私は基本既存のグループでぬくぬく過ごしていくのが好きなので、サークルに固執しそうである。)

 

 もう1つ、この和歌で思い出した話。羽海野チカさんの漫画に『3月のライオン』という漫画がある。将棋を題材にした人間ドラマでとてもエモい作品なので、是非オススメしたいが、私は8巻だけ買って手元に置いている。理由は、この8巻に収められている話が好きだからという単純なものだけれど。

 

3月のライオン 8 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 8 (ジェッツコミックス)

 

 

 この巻の内容だが、この表紙にもなっている棋界最年長の棋士が将棋を指しながら、夢半ばで棋士の道を諦めていった友人たちに思いを馳せるというものだ。ちょうど、この和歌を読んだ興風と近い心境が描かれていると思う。そして、この話で印象に残っているその最年長棋士のセリフが次だ。

たとえてくれる先人ももはやただの1人もなし

                    羽海野チカ3月のライオン』より

 

 歳を重ねると、学年が上がると、自分の特徴を掴んで、ものに例えてくれる人、そして欠点をみて指摘してくれる人が減るように思える。先輩、同期が少なくなっていけば、なおさら。風通しが良い組織であっても、どうしても指摘は減る。自分で考え、自分で反省し、自分で自分を導くしかない。先達や旧友の有り難さよ。褒めてくれ、そして叱ってくれる人のありがたさよ。まぁ、叱ってくれる人はこの先のしうかつで沢山見つかりそうだけど。

 

 

 和歌一首で思ったより話が広がって収拾がつかなくなってしまったので、ここらで打ち切り。何が言いたいかというと、同期・先輩はもっとサークルに来ませう、後輩諸君は粗相があったらボコボコにしてください、ということです。20そこらで、「誰をかも知る人にせむ」と呟くのは些か早すぎる。

 

初めて『美女と野獣』を視聴した感想など

 金曜ロードショーでディズニー映画が放送された夜は、日本中でディズニーについてのあれこれが語られる夜だろう。そんな夜であるから、普段ディズニーに馴染みのない自分がそれについて書いてもバチは当たるまい。

 

 お恥ずかしながら、先述の通り私はディズニー映画に疎く、今晩放送された『美女と野獣』に至っては見たことがないどころかストーリーすら知らない。メインの曲についてもつい先月知ったばかりである。こんなこと書いてると、ディズニー好きの方々の手によって舞浜の海に沈められてしまいそうだが…

 一応言い訳させてもらうと、うちの一家はディズニーよりもジブリ映画を見る感じの家だった。家族で一緒に見る映画はいつもジブリであったと記憶している。『隣のトトロ』はテープが擦り切れるくらい見たし、かかりつけの小児科はいつも『魔女の宅急便』をテレビに映していた。(一応その小児科ではそれなりの頻度で『リトルマーメイド』も流していたけれど、ストーリー全体を把握できるほど視聴した記憶はない。)なんかこういうこと書いているとジブリ至上主義者に思われて、一部の人から「ランド引き回しの上、磔獄門にしてやる!」とか言われそうだが、別に対立煽りしたいわけではないので、ご了承を。ジブリにはトラウマ3部作*1とかあるしね… ちなみに、先日母とディズニーについて話したら、「子供が男の子だったから、あんまりディズニーとか見ないでしょ」とか言っていた。ミッキーのハンカチとかを使っている母なので、見たいと思ったこともあったろうに、とは思う。

 

 話が脇道に逸れたが、そんなこんなでこの歳まで『美女と野獣』を観ずに生きてきた訳である。そんな折に『美女と野獣』が金ローでやるということで、いい機会だと見ることにした。とはいえ、エ◯スコンバットをやっていたせいで、冒頭30分は見逃した訳であるけど。

 細かいストーリーについては端折る。多分、私以外は皆知っている古典だと思うので。

 冒頭をパーっと見ていると、政略結婚した夫婦はこんな感じだったのかぁとか思ってたり。困窮する家(父)を救うために、異民族に嫁ぐ娘とすると、割と世界各地でこういう雰囲気の話はありそう。例えば、漢の王昭君とか。王昭君の話は悲劇で書かれたりするけど、私は喜劇だと思います。自分を必要としてくれる人の許にいた方がいい。

 とかとかコムズカシイ話を考えていたのは冒頭くらいで、後のシーンは、精神年齢小学生マンとして、割とウキウキしながら視聴していた。ベルへの接し方が分からず右往左往するアダム可愛いなって思ったり、狼に襲われてるベルを助けにくるアダムかっこいいなと思ってたりしてました。あと、割と2人がお近づきになるテンポ早いなと思ったり。ベルが逃げ出すシーンから30分ぐらいで、踊りのシーンになってた気がする。まぁそれはそれで話がだれなくていいのかな。子供が飽きる前にシーン変わった方がいいと思うし。そんなこんなでホームアローンみのある戦闘シーンと大団円。まぁあれです、敵を解放するときにはちゃんと武装解除させようね!というお気持ちです。

 

 そして、最終シーンで全ての魔法が解けて大団円!ハッピーエンド!めでたしめでたし。まぁそこで終わればいいんですが、そのタイミングで、逆張りひねくれオタクの性が出てきてしまった。あれ、これ元の姿になる必要あるんだろうかと。この話は多分、もともと?心が醜かった人間が、姿までも醜くされ、コンプレックスを抱き、城に引きこもり、さらに心が荒んでいくというところが焦点なのだと思う。精神的にも完全でない人間が、外見にまでコンプレックスを抱いてしまうとどうなるか。自分でも書いてて胸が痛いが、そういうのが見てとれた。

 まぁ人生の悲しい話は置いといて、そうしたコンプレックスに悩むアダムはベルの優しさに触れ、愛を伝えて、受け入れられて、そう言った新しい経験、(本人は「今までにない気持ち」と表現していた)を通して、新しい感情を獲得していく。そして、アダムは人間の姿に戻っていくわけだけれども、これは戻る必要があるんだろうか… ベルは「野獣」の姿のアダムを愛してくれているわけだし、「野獣」の姿の方が腕力ありそうだし、体が大きすぎて天井に頭をぶつけるとかはあるかもだけど、ベルの力を借りて、姿の面でも気持ちの面でもコンプレックスを克服したアダムにとって「野獣」の姿であることはなんら問題がない。それが、魔女との契約であるからと言ってしまえば、それまでだけど。頭の中ではまぁ元の姿に戻るよなと思いながらも、若干の違和感があった。

 最後に元の姿に戻った理由として1つ考えられるのは、アダムが"元の"人間らしい感情、気持ちを回復させたからというもの。これは割と真に見える。「野獣」の姿のアダムは、すぐにカッとなり、物にあたり、まさしく「野獣」という感じであったけれども、ストーリーの中で、人間らしい感情をゲットしていく。そして、最後に完全に人間の気持ちを得たことの象徴として、人間の姿に戻る。

 この考えは割といい感じな気がするが、これも少し違和感がある。そもそもアダムの”元の”性格は冷たく傲慢な、とても良い性格と言えるものではないのではなかったか。彼にとって「人間の姿」=「人間時代」は、そういった人間的とはいえない性格を持っていた時分の象徴になるのではないだろうか。それに対して、「野獣の姿」は、ベルとの交流を通して新たな感情と気持ちを獲得した姿として、つまり新たな自分の姿として捉えることができるのではないだろうか。とするなら、今までの「自分の姿」と決別し、「新たな自分の姿」=「野獣の姿」を自分と認め生きていくという方法もこの話の結末として存在し得ると思う。

 

 

 ひねくれオタクとしてかなり穿った見方をしてしまったが、全然人の姿に戻るというのは話のオチとしては綺麗だし、まとまっているし、後者の結末も否定はしないし、そちらの方が支持されるだろう。私の気まぐれな意見は、部外者の戯言とでも思っていただければいいかなと思います。

 また気が向いたらディズニーついて書くかも。まぁそんなに夜更かししたくないので、ほどほどに…

*1:もののけ姫』『風の谷のナウシカ』『千と千尋の神隠し』の3作品のこと。幼い私にとってシシガミ様、王蟲カオナシは恐怖の権化だった。ちなみに、中学生になった頃に3作品をちゃんと履修して克服した。

藤原義孝についての備忘録

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

                                            『小倉百人一首』より

 あなたのためには惜しくもないと思っていたこの命ですが、思いが遂げられた今では長く続いて欲しいと思っていることですよ。

 

 この歌は、百人一首第50番として収められている歌である。ある人がみたら、純粋だと笑うだろうか。また、ある人が見たら愛が重いと嘲笑うだろうか。

 私は、私はこの歌を始めて見た高校生の時分から惹かれている。そして、それと同じくらいこの歌を詠んだ「藤原義孝」という人にも惹かれている。和歌に秀で、美貌にも優れ、また人望も厚かったこの男は、21歳という若さで、天然痘という疫病でなくなった。夭逝した人物が類い稀ない人物として描かれるのは歴史の常だが、この人については、どれも真であったと思ってしまう。

 さて、高校生の頃から彼が好きな私であるが、今年で21になる。また、世間では疫病が流行っている。彼がちょうど亡くなった時に似ている気がする。これを運命と言わずしてなんというのだろうか。彼について知らなければ、彼について書かねば、という気持ちがふつふつと湧いてきた。その気持ちに任せて、今筆をとっている。わざわざブログで書かなくてもいい気もするが、彼のことを忘れてはいけない気もするのだ。

 

 

 藤原義孝藤原伊尹という男の元に、天暦8年(954年)に生まれた。幼い時分から和歌に優れていたようで、幼い時に伊尹と共に歌会に参列している。その時、読まれた上の句に下の句をつけるという催しが行われた。上の句とは和歌の始めの「575」の部分で、下の句は残りの「77」の部分である。ある上の句について、一同が返答に窮していると、義孝がすっと素晴らしい下の句を詠んでみせたという話が残っている。先ほども述べたように、夭逝した人物にこの手の話題はつきものであるが。

 この出来事に父である伊尹は大いに喜び、方々に自慢して回ったらしい。自身も和歌に優れ、梨壺の五人をまとめ、『後撰和歌集』の編纂に大きく関わっていたから、その喜びもひとしおであったのだろう。それに当時は、権力争いが激しい時代でもあり、かつ和歌の優劣が出世に影響したという話もあるので、自分の子に類稀なる才能を持つ子ができたことは、一般の親として感じる嬉しさ以上のものがあったのかもしれない。

 

 藤原義孝という人物について、語る上でまた欠かせないのは、その信心深さだろう。仏教が一大宗教であったということを差し引いても、熱心な仏教徒であった。肉や魚の類は食べなかった。またフナの肉にフナの卵を和えた鱠を見て、母の肉に子どもが添えられていると感じ涙を流したという記録もある。ここまでくると優しいのだかどうか分からなくなるが、そういう人物であった。また、邸宅の世尊寺に帰る度に、極楽浄土があるという西に向かって拝礼をし、熱心に仏を信仰した。彼が亡くなった後も、周囲の人々はその姿が忘れられなかったのだろうか、『大鏡』において、死後友人たちの夢に現れ、無事に極楽に行けたことを嬉しそうに語ったと記録されている。彼の信心は当時の人々にとっても奇異に映るものであったろうだろう。また、そのような夢を見てくれる友人が多くいたことに、彼の人柄の良さも見て取れる。

 

 そんな清廉潔白を絵に描いたような彼であるが、歳がくれば恋をするもので、ある女性の元から帰る際の後朝の歌として詠んだのが冒頭の

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

                                            『小倉百人一首』より

 という歌である。恋が実るまでに募った自分の思いと、恋が叶ったことに対する喜びとが上手く詠み込まれた歌であると思う。もちろん、恋とはいかなる時もそのように純粋なものではないだろうし、そういう幼くも美しい心はいつか失うものである。彼がその心を晩年まで持ち続けていたかは分からない。しかし、21歳で亡くなるまでに失ってしまうものなのだろうか。失ってしまう人だったのだろうか。今となっては確かめのないことで、ただ確かなのは、私はこの歳になってもこの歌が好きであるということである。

 

 この歌が詠まれた後、義孝は結婚し、長男である行成が産まれる。藤原行成、というと日本史を履修した人は見覚えがあるかもしれない。書に優れ、小野道風藤原佐理とともに「三蹟」に数えられる人物である。父義孝が早世したために、外祖父の源保光の庇護を受けて育つ事になるのだが、その祖父の教育が彼の書家としての人生に影響を与えのだろうか。源保光は漢学に優れた教養人であり、彼の教育項目に「書」が入っていたことも想像に難くない。このように能書家として文字通り歴史に名を残すことになった行成だが、一方で和歌は不得手であったようで、貴族が教養として知っておくべき歌を知らず、周囲に呆れられたという話が『大鏡』に残っている。もしも、義孝が生きていれば、彼は能書家ではなく、良き歌人となっていたのだろうか。それもまた知る由はない。

 

 ともかく、長男が生まれ、おそらく幸せの絶頂であったであろう、天禄3年(972年)悲劇が起こる。父伊尹が急死した。49歳だった。藤原氏氏長者として絶大な権力を掴んだ、まさにその時だった。かつて権力争いをした藤原朝成の祟りだとか当時は噂されたらしい。また、派手好きで、豪奢な生活を送っていたから、糖尿病であったとも言われる。

 藤原伊尹は、清廉であった息子の義孝とは反対に、女好きで、その美貌を生かし派手に遊んでいたらしい。そんな伊尹であるが、奇しくも百人一首に義孝同様、死と恋について詠んだ歌が選出されている。

あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな

                         『小倉百人一首』より 

 お可哀想にと言ってくれ人も思いつかなくて、私はこのままむなしく死んでしまいそうですよ。貴女が言ってくれたらいいのにね。

 詞書には、言い寄っていた女性が、冷たくなり、会ってくれなくなったので詠んだ歌とある。この詞書を知らなくとも、どこかおちゃらけた雰囲気で自分の死について詠んでいる様子が見てとれる。義孝の歌の「死」が思いのこもった真摯な言葉であったのに対し、伊尹は垢抜けた大人の男の遊びといった雰囲気が漂う。義孝は本当に死にそうであるし、伊尹は飄々と生きながらえそうである。

 ここから見てとれるように、義孝と正反対の父であったが、義孝は伊尹の死をひどく悲しみ、一時は出家しようとも考えたようだ。どれだけ権力を得ようと、どれだけ女性の愛を受けようと、どれだけ豪華な生活を送ろうと、死は誰のもとにも訪れる。その事実が大きな現実を伴って彼のみにのしかかっていた。結局、長男行成の行く末を案じて、出世は思いとどまるのだが、父の死は彼の人生に暗い影を落とした。それはまた、和歌にも見える気がする。まず、父伊尹が亡くなった頃に詠んだ歌が以下のものである。

夕まぐれ木しげき庭を眺めつつ木の葉とともに落つる涙かな

                           『義孝集』より

 薄暗い夕闇の中で、庭を眺めてもの思いに耽っていると、木の葉とともに落ちる涙なのだなぁ。

 

 また、父が亡くなった後の春に詠んだ歌。

夢ならで夢なることを嘆きつつ春のはかなき物思ふかな

                           『義孝集』より  

 夢ではなくて現実であるのに、夢のように儚い春を嘆きつつ、物思いにふけっていることですよ。

 春を、藤原氏氏長者となり権力を掌握していたことの例えと見ると、どこか儚い世に対する厭世の感を感じる歌であるが、そのまま「春」と詠んでもどことなく悲しさを感じる。

 

 またある時には、次のように詠んだ。

春雨も年にしたがふ世の中にいまはふるよと思ふかなしな

                           『義孝集』より

 春雨も歳月の移ろいに従うこの世で、またそれが降る季節がやってきましたが、こうして父の死から年月を経ていくのだと思うと悲しいものです。

 

 彼の心の影を見抜いていたのだろうか、天延2年(974年)都で天然痘が流行した際に、義孝もまた罹患してしまった。そして、旧暦9月16日、午前中に亡くなった兄の後を追うように、彼もまた亡くなった。享年21。最期まで法華経を唱えていたという。

 

 

 今年、私は21になる。自分が昔から好きな人の享年を超えるということに若干の特別感と、若干の緊張がある。もちろん、当時の21と現代の21では意味合いが違う。藤原義孝には、妻子がいたし、社会的地位も、才能もあった。私にはまだ何もない。ここは私にとってはまだ通過点である。だが、この21という特別な年に、流行病が出てしまったことに、何かの意味を感じてしまう。それを思うと、私はやはり、藤原義孝という人物について、文章という形で祈りを捧げたくなるのである。

 

君はロックなんか聞かない

例のごとく流行に遅れて曲を聴く人間なので、今になってあいみょんという人の曲を聴いている。CMやドラマとのタイアップなしに出てきた歌手ということで、めっちゃ歌が上手い。私は逆張りオタクであったけれど、これは普通に推せるなと思った次第である。

 

さて、彼女の曲で1番気に入ってるのは「君はロックを聴かない」という曲である。


あいみょん - 君はロックを聴かない 【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

 

落ち込んでいる意中の女性に、ロックを歌ってあげるが、あまりよろしい反応がもらえないというなんとも甘酸っぱい曲である。今日はこれについて思うところがあるので、ちょろちょろと書いて行こうと思う。

青春、特にその中の恋愛というものは、時によっては鬱屈とする気持ちを運んでくるもので、青春の真っ只中にいる者はそれをどう発散させるかに苦慮するものかと思う。全員が全員そうではないと思うが、おそらく多くの人がそういう状況に置かれるだろう。では、その鬱屈をどう受け流すか。いろいろな方法があると思うが、その中で「芸術への昇華」という方法をとる人たちがいる。それが、この曲中でロックを披露している青年であり、そして私もそうであろう。相手に対して抱く、自分の中の鬱屈とした感情を芸術に仕立て上げる。そうして生み出された芸術が完全に昇華されるのは、その相手の元まで届いた時であろう。別の曲の歌詞になってしまって恐縮だが、ポルノグラフィティの「アゲハ蝶」に次の一節がある。

詩人がたったひとひらの言の葉に込めた 意味をついに知ることはない そう それは友に できるならあなたに届けばいいと思う』


ポルノグラフィティ「アゲハ蝶」RockinJapanfestival

(「アゲハ蝶」は恋愛の鬱屈した感情をうまいこと言語化できていると思うので全人類聴いて)

 

同情してくれる友人に届くだけでも昇華は達成できるけれども、やはり「あなた」に届くのが本望なのだ。しかしそこで問題がある。昇華において、自分と相手との間を媒介するものは「芸術(一般的な定義より広い)」である。どうしてもその仲介が必要になる。つまり、相手にその「芸術」を受け取ってもらわなければいけない。これが非常に難しい。人が受け取れる「芸術」のレンジはそれほど広くない。現に私だって、「私の感情を舞いに込めました」と言われたとしても、完璧に受け取れる自信はない。

では、相手に合わせて、間におく「芸術」を変えればいいのではないかということになる。しかし、青春の只中にいる人間にそんな器用なことができるのだろうか。そういう人の大部分は、何か一本だけで勝負している人ではないだろうか。「君はロックを聴かない」の青年にとってそれは「ロック」であり、私にとってはそれは短歌をはじめとした「文芸」だ。それでしか昇華をすることはできない。

であるから、自分の「伝家の宝刀」が相手のレンジに入らないのであれば、「相手の元に届ける」という大望を果たすことはできない。ロックを聴かない女性にロックを届けることはできないのだ。そうしてまた、新たな鬱屈が青年を襲う。無限地獄であるようにも思える。

 

今日もまた、あの青年はロックを歌うだろう。そして、私はまた文章を書き、短歌を詠む。それが、その意中の相手に届く日は果たしてくるのだろうか。

成人式と初恋に寄せる

 先日、成人式に参加してきた。ネットやらなんやらの黒い噂を聞いていた自分は正直乗り気ではなかったが、期待値が低かったせいか、行ってみると案外と良いもので、手のひらを大きく返さざるを得なかった。そこまで奇抜な格好をしている人はほとんどおらず、中学校単位での式典だったので、奇行をしてまで目立とうとするものもおらず、全国的に見てもかなり良い形でできたのではないだろうか。中学生の時分には、荒れに荒れてコワモテの先生で担任を固められた学年とは思えない。もちろん、若干の闇の部分は見えたが、それはそれとして、自分の見聞や経験の一部にしてしまえばいい。そんなこんなで今は、この日会った学友の大半とは、この後の人生で出会わないと思い、月を眺めながら、ひどい感傷に浸っているところである。

 

 さて、中学の人たちが一堂に会するということは当然自分の初恋の人というのも来るものだが、事前にはなんとなく思いこそすれ、そこまで現実味はなかった。第一、5年以上経った今では彼女に気づかないだろうと思っていた。実際、女子たちは僅かな面影を残してみな垢抜けていた。比較的大人しい女子であった彼女にとっても、5年の歳月は長いだろう。「男子3日会はざれば、刮目して見よ」というが、それは女子についても当てはまるだろう。そう思っていた。

 式典が終わり、ホワイエで談笑する頃、知り合いと取り止めのない話をしながら、帰る手段はどうしようかと考えていた。その時、集合写真を取っている女子の一団が目に入った。彼女がいた。あの頃と変わらない姿でそこにいた。細い目に、薄く紅く染まった白い頬。記憶の中の彼女がそのまま振袖を着ていた。体が凍った。彼女があの頃と変わっていなかった安堵感と、記憶の中の人物がそのまま目の先にいる驚きが私の胸を襲っていた。吐き気を催したのは、二日酔いのせいだけではないだろう。

 その時、彼女は遠く向こうで何かを見つけたのか、はにかみながら、走っていった。ちょうど自分の目の前を通り過ぎるときにその表情が見えた。本当に滑稽なことだが、人混みの中に彼女が消えていくのを見送ってからやっと、今声を掛ければよかったと、はたと気づいた。それが、彼女を見た最後だった。おそらく一生でも最後だろう。

 

 今、ふと思うのは中学の時分であったら声をかけたのだろうかということである。おそらく、声をかけただろう。あの頃は、彼女に恋をしていた。知恵をひねりだして、なんとかして話す機会を作っただろう。では、今回はどうか。もはやそのような”努力“はしていない。本当に話したかったのであれば、いくらでも方法はあったはずである。例えば、式場ではクラスごとにまとまっていたから、彼女のクラスに行けば良かったのだ。しかし、その方法は1つも取らなかった。事前になんとなく彼女も来るだろうと思っていても、そのような方策は1つも考えなかった。やはり、もう彼女に恋はしていないのだと、初恋が遠いものになったのだと、そう思う。容姿だけでなく、気持ちであっても歳月に流される。たとえ、彼女の容姿が変わっていなくても、そこに5年の歳月はある。あの頃は遠い昔なのだ。よく覚えていた彼女との思い出には、靄がかかっている。まだ朧月のようにうっすらと見えるが、いつか厚い雲に覆われるのだろう。

 

 私の気持ちを知ってかしらずか、その晩は月がよく輝いていた。英文和訳に月を用いた文豪や、月を介して相手を想う歌があった気もする。私は、中学の時分から月を眺めるのが好きだった。あの優しい光に惹かれたのだろうか。

 

 

 満月や平成遠くなりにけり

 

 

 たしか、彼女の名前にも「月」があった。

2019・冬

2019年の9月にある一曲を知った。

 

www.youtube.com

 

高度3000メートル。音のない、吐息すら聞こえない世界。頼りになるのは、かけがえのない人と繋がった手のみ。その中で、ただこの曲だけが流れる。

 

正直、初見では何が起こったのか分からなくて面食らっていた。途中の一瞬音が切れるシーンで心臓が止まった気がする。ストライクウィッチーズの6話は神話だと聞いていたが、これほどとは思わなかった。(3期はこれ以上を期待していいんすよね…?)

 

 

凄まじい衝撃とともに、私の元にやって来た曲だが、幾度も幾度もリプレイするたびに思い浮かぶ情景がある。雪の降りしきる平原。静かな夜。そして時々吹き付ける寒風。

イントロの入りから、アウトロの最後まで、そういった情景がありありと浮かんでくる。歌っているキャラクターが、スオムス(フィンランドモデル)とオラーシャ(ロシアモデル)出身の2人なので、そういったものが浮かんでくるのは当然かもしれない。

 

それとともに浮かぶものがまた1つある。それは、2018年の冬である。その光景をまた想起させる。ただそれだけではない。想起させると同時に、この曲はその情景の入ってくる。2018年の冬、2人の間に、この曲はあった。先述した通り、私がこの曲を知ったのは2019年の9月だ。2018年には知る由もない。だが、確かにそこに流れていた。あのイントロが、あの歌声が。

 

 

なんとも奇々怪々なことである。しかし、思い出とは違い2018年はもう戻らない。また、1つずつ進んでいくのみである。

絵仏師良秀の境地

※この作品はフィクションであり、現実の事件、事象を基に構成されていません。 

 

 宇治拾遺物語に「絵仏師良秀」という話がある。妻子とともに焼ける自宅を見て、下手であった炎の絵が上手く描けるようになると喜び、にやけ、笑っていたという男の話だ。芥川龍之介の『地獄変』の題材となった話であり、どこかでこの男の話を耳にした諸兄は多かろう。自分に降りかかった不幸でさえ、己の技術の向上に繋がると喜ぶ芸術家の恐ろしさ、凄まじさを伝える作品である。果たして本当にそのようなことがあるのか。人間である以上、そのような狂った考えは持たないのではないだろうか。初めてこの作品に触れた時から、つい先日に至るまでそのように考えていた。そう、つい先日までは。先日私は、その境地の一片に触れたような気がする。多く触れたわけではない。しかし、確かにその一欠片を見たのだ。

 

 先日、あるイベントがあった。イベントというよりは食事会に近いものであった。普通の人にとっては、ただの楽しい食事会。しかし、私はびくびくと怯えていた。参加者の欄の1番最後、そこに恋人であった人の名前が載っていた。数ヶ月前までは、暖かく自分を見てくれたあの目が、優しく包み込んでくれたあの態度が、冷たいものとなって、自分に向かってくるのが怖かった。

 食事会が始まった。彼女は遅れてきた。彼女が姿を現した刹那、自分の心臓が止まった。今まで、自分を襲ったことのないような、感情が体を蝕み始めた。この席に座っていることに後悔した。ただ、テーブルに並べられた色とりどりの食事を見つめていた。

 その時、ふと、心の隅からふつふつと湧くものがあった。それは声であった。「良い題材を得た。これを少しでも記憶し、文学に、作品にするべきだ。」と。はっ、と気がつくと、それまで体を侵食していたものは消えていた。その代わり、活力にも似た、大きく、しかしどこか暗い力が湧いてきていた。自然と口から笑みが零れる。ああ、これが絵仏師良秀の境地なのだ。今、その一片に触れているのだ。この裂けた胸から溢れる血をそのまま流してしまうのは勿体無い。血をインクに、骨をペンにし、作品を書いてやろう。そう思うと、この哀れな状況でさえ、魅力的な場面へと見えてきた。そう、きっとこのために私はこの席に座っていたのだ。そうとすら、思えてきていた。私は、まさしく良秀であった。

 

 これは、狂気的に倒錯した感情なのだろうか。耐えることのできない負荷に、作動してしまった防衛機制の末に、不が正になってしまったのだろうと、今となっては思える。ただ、確かに心の中に鬼がいて、私の心をたぶらかしていた。それだけは、確かである。今でもまた、あの記憶が不意に蘇り、あの声が聞こえるのだ。良秀の境地、それは文芸の1つのステップなのか。いや、そのような倒錯した感情を持ち、狂ってしまった自分は、さながら地獄をさまよう鬼であろう。そうなった以上、常人としては生きられまい。心臓から溢れる血を手に、紙へと向かう。狂気の赴くままに筆を振るう。ここは生き地獄である。