成人式と初恋に寄せる

 先日、成人式に参加してきた。ネットやらなんやらの黒い噂を聞いていた自分は正直乗り気ではなかったが、期待値が低かったせいか、行ってみると案外と良いもので、手のひらを大きく返さざるを得なかった。そこまで奇抜な格好をしている人はほとんどおらず、中学校単位での式典だったので、奇行をしてまで目立とうとするものもおらず、全国的に見てもかなり良い形でできたのではないだろうか。中学生の時分には、荒れに荒れてコワモテの先生で担任を固められた学年とは思えない。もちろん、若干の闇の部分は見えたが、それはそれとして、自分の見聞や経験の一部にしてしまえばいい。そんなこんなで今は、この日会った学友の大半とは、この後の人生で出会わないと思い、月を眺めながら、ひどい感傷に浸っているところである。

 

 さて、中学の人たちが一堂に会するということは当然自分の初恋の人というのも来るものだが、事前にはなんとなく思いこそすれ、そこまで現実味はなかった。第一、5年以上経った今では彼女に気づかないだろうと思っていた。実際、女子たちは僅かな面影を残してみな垢抜けていた。比較的大人しい女子であった彼女にとっても、5年の歳月は長いだろう。「男子3日会はざれば、刮目して見よ」というが、それは女子についても当てはまるだろう。そう思っていた。

 式典が終わり、ホワイエで談笑する頃、知り合いと取り止めのない話をしながら、帰る手段はどうしようかと考えていた。その時、集合写真を取っている女子の一団が目に入った。彼女がいた。あの頃と変わらない姿でそこにいた。細い目に、薄く紅く染まった白い頬。記憶の中の彼女がそのまま振袖を着ていた。体が凍った。彼女があの頃と変わっていなかった安堵感と、記憶の中の人物がそのまま目の先にいる驚きが私の胸を襲っていた。吐き気を催したのは、二日酔いのせいだけではないだろう。

 その時、彼女は遠く向こうで何かを見つけたのか、はにかみながら、走っていった。ちょうど自分の目の前を通り過ぎるときにその表情が見えた。本当に滑稽なことだが、人混みの中に彼女が消えていくのを見送ってからやっと、今声を掛ければよかったと、はたと気づいた。それが、彼女を見た最後だった。おそらく一生でも最後だろう。

 

 今、ふと思うのは中学の時分であったら声をかけたのだろうかということである。おそらく、声をかけただろう。あの頃は、彼女に恋をしていた。知恵をひねりだして、なんとかして話す機会を作っただろう。では、今回はどうか。もはやそのような”努力“はしていない。本当に話したかったのであれば、いくらでも方法はあったはずである。例えば、式場ではクラスごとにまとまっていたから、彼女のクラスに行けば良かったのだ。しかし、その方法は1つも取らなかった。事前になんとなく彼女も来るだろうと思っていても、そのような方策は1つも考えなかった。やはり、もう彼女に恋はしていないのだと、初恋が遠いものになったのだと、そう思う。容姿だけでなく、気持ちであっても歳月に流される。たとえ、彼女の容姿が変わっていなくても、そこに5年の歳月はある。あの頃は遠い昔なのだ。よく覚えていた彼女との思い出には、靄がかかっている。まだ朧月のようにうっすらと見えるが、いつか厚い雲に覆われるのだろう。

 

 私の気持ちを知ってかしらずか、その晩は月がよく輝いていた。英文和訳に月を用いた文豪や、月を介して相手を想う歌があった気もする。私は、中学の時分から月を眺めるのが好きだった。あの優しい光に惹かれたのだろうか。

 

 

 満月や平成遠くなりにけり

 

 

 たしか、彼女の名前にも「月」があった。